凍結されるのは「診断された日」ではない

「親が認知症と診断されたら、その瞬間に口座が凍結される」と思われがちですが、 病院と銀行がつながっているわけではありません。銀行が取引を制限するのは、銀行が「本人の判断能力が低下している」と知ったときです。 預金は本人の大切な財産なので、本人の意思確認ができない状態で お金が動くことを防ぐための措置ですが、家族にとっては 「介護のお金が急に引き出せなくなる」という形で現れます。

きっかけになり得る場面として、次のような例がよく挙げられます。

どの時点で制限するかの統一基準が公表されているわけではなく、対応は銀行や状況によって異なります。 「まだ軽いから大丈夫」と思っていても、たまたま窓口で確認が入れば その日から動かせなくなることもあれば、逆にしばらく気づかれないこともある — 予測できないこと自体がリスクだと考えておくのが安全です。

なお、この「生前の凍結」は、親が亡くなったときの相続にともなう凍結とは別の話です。 死亡後の凍結と葬儀費用の仮払い制度についてはこちらの記事で解説しています。

凍結されると何が起きるか — 年金は貯まるのに、使えない

判断能力の低下を理由に取引が制限されても、口座そのものがなくなるわけではありません。 一般に、年金の振り込みなどの入金や、公共料金・施設利用料などの 口座振替(引き落とし)は従来どおり続く扱いとされています。 止まるのは、窓口での出金や定期預金の解約、振込などの「お金を動かす手続き」です。

つまり、家族から見るとこうなります。

これは一部の家庭だけの話ではありません。厚生労働省の研究班の推計では、 認知症の高齢者は 2040 年に約 584 万人、その前段階とされる軽度認知障害(MCI)は 約 613 万人に達すると見込まれています。また、認知症の高齢者が保有する金融資産は 2030 年度に 215 兆円にのぼるという試算もあります(第一生命経済研究所・2018 年)。 「親のお金が親のために使えない」は、誰の家庭にも起こり得る問題になりつつあります。

もし凍結されてしまったら — 全銀協の「考え方」と限界

備えのないまま凍結されてしまった場合の手がかりが、全国銀行協会が 2021 年 2 月に公表した 「金融取引の代理等に関する考え方および銀行と地方公共団体・社会福祉関係機関等との 連携強化に関する考え方」です。この中で全銀協は、判断能力が低下した本人に代わる 親族等の払い出しについて、本人の医療費や介護費など、本人の利益になることが 明らかな場合に限り、診断書の確認や面談などを経て応じる余地がある、 という考え方を示しました。

ただし、これはあくまで例外的な対応の目安で、法律上の権利ではありません。 応じるかどうか、どんな書類が必要かは銀行ごとに判断が分かれます。 請求書・見積書など使いみちの分かる書類をそろえて、まず取引銀行に相談してみてください。

そして、この例外対応でカバーできるのは目の前の支払いまでです。 預金全体の管理や解約、実家の売却まで必要になったら、 発症後に取れる手段は、後述する法定後見(成年後見制度)がほぼ唯一になります。 だからこそ、親が元気なうちの備えに大きな価値があります。

軽い備え — 銀行の代理人サービスと家族の情報共有

備えというと家族信託や後見のような「重い」制度が浮かびますが、 その手前に、届け出だけでできる軽い備えがあります。

銀行の代理人サービス(予約型)

本人が元気なうちに「将来、代わりに手続きする家族」を銀行に届け出ておき、 判断能力が低下したあとは、診断書などの提出を条件にその家族が 出金などの手続きをできるようにするサービスです。 全銀協の考え方の公表以降、導入する銀行が増えています。たとえば、

名称や条件(指定できる範囲・発効の要件・対象取引)は銀行ごとに異なり、効力はその銀行の口座にしか及びません。 複数の銀行に口座があるなら、銀行ごとに確認・手続きが必要です。 まずは親の年金が振り込まれているメインバンクに 「代理人の事前登録のようなサービスはありますか」と聞いてみるのが第一歩です。

※ 家族が使える「代理人カード」を発行している銀行もありますが、 一般に本人に判断能力があるうちの利便のための仕組みで、 判断能力低下後の利用は想定されていないことが多い点に注意してください。

口座情報の共有

サービスの利用とあわせて、どの銀行に口座があるかを家族が把握しておくことも立派な備えです。口座の存在が分からないと、凍結への対処も後見の申立ても 出だしでつまずきます。暗証番号は書かず「口座の存在一覧」だけ作っておく方法を実家の重要書類の記事で紹介しています。

重い備え(1) 任意後見 — 自分で選んだ人に、監督付きで託す

任意後見は、本人が元気なうちに「将来、判断能力が下がったら この人にこの範囲の手続きを任せる」という契約を結んでおく制度です。 契約は公正証書で作ることが法律で義務付けられています(公証役場の基本手数料は 1 契約 13,000 円。日本公証人連合会)。

ポイントは次の 3 つです。

財産管理だけでなく、介護サービスの契約や施設の入退所手続きといった本人の生活を支える手続き(身上監護)を契約の範囲に含められるのが、 次に紹介する家族信託にはない強みです。

重い備え(2) 家族信託 — 契約したときから使える財産管理

家族信託(民事信託)は、本人(委託者)が信頼できる家族(受託者)に 預金や実家などの財産を託し、あらかじめ決めた目的(本人の生活費・介護費に充てる、など)の ために管理・処分してもらう契約です。

「実家を売って施設費用に充てる」ところまで見据えた設計ができるのが特徴で、 実家を対象にした具体的な使い方は家族信託で実家を管理・売却するで解説しています。 税務や登記が絡む専門領域のため、設計は司法書士等の専門家と進めるのが現実的です。

備えがなかった場合の唯一の手段 — 法定後見とそのコスト

判断能力が低下してしまった後では、任意後見も家族信託も原則として契約できません。 その段階で使えるのは、家庭裁判所に申し立てて後見人を選んでもらう法定後見(成年後見制度)がほぼ唯一です。 本人を守るための大切な制度ですが、申し立てる前に知っておきたい特徴があります。

※ 2026 年 6 月に成年後見制度を見直す民法等の改正が成立し、必要な期間だけ利用して 終了できる仕組みなどへの転換が予定されています。ただし施行はまだ先 (2028 年ごろと見込まれています)で、現時点の申立てには現行制度が適用されます。 改正の中身は成年後見制度の改正(2026 年成立)で 詳しく解説しています。

3 つの制度を 4 つの軸で比較する

ここまでの 3 制度を、「いつ始められるか」「裁判所がどう関わるか」 「続く費用があるか」「生活面の手続き(身上監護)を任せられるか」の 4 軸で並べます。

家族信託任意後見法定後見
開始時期元気なうちに契約し、契約時から利用できる元気なうちに契約し、判断能力の低下後に発効判断能力の低下に家庭裁判所へ申立て
裁判所の関与原則なし(当事者間の契約)発効時に家裁が任意後見監督人を選任し、監督人を通じて監督家裁が後見人を選任(親族以外が約 83.6%)し、以後も監督
ランニングコスト原則なし(初期費用が中心)発効後、監督人報酬のめやす月額 1〜2 万円〜が原則終身専門職後見人の報酬のめやす月額 2 万円〜が原則終身
身上監護できない(財産管理のみ)契約で定めた範囲でできるできる

※ 報酬のめやすは東京家庭裁判所「成年後見人等の報酬額のめやす」に基づく標準的な水準で、 実際の金額は事案ごとに家庭裁判所が決めます。家族信託の初期費用(専門家報酬・公正証書・ 登記費用など)は財産の内容で大きく変わります。家族信託で財産管理を、 任意後見で身上監護を、と両者を組み合わせる実務もあります。

実家そのものの「凍結」には別の備えを

ここまで預金の話をしてきましたが、判断能力の低下で動かせなくなるのは口座だけではありません。実家の売却や賃貸・修繕の契約も、本人の意思確認ができないと止まります。 「老人ホームの費用は実家を売って用意するつもりだった」という計画が崩れる典型パターンで、 不動産ならではの注意点(居住用不動産の処分許可など)は認知症と実家売却の記事で詳しく解説しています。

親の物忘れや家の様子に不安を感じ始めた段階なら、実家の危険サインのチェックと合わせて、 施設入居を見据えた実家の片付けと費用計画も 早めに考え始めると、打てる手の選択肢が広がります。

まず何から始めるか

制度選びから入る必要はありません。順番はこうです。

  1. 1
    親の口座と財産を棚卸しする

    どの銀行に口座があるか、年金の振込先はどこかを親と一緒に確認。暗証番号は聞かず「存在の一覧」だけ作る

  2. 2
    取引銀行の代理人サービスを確認する

    メインバンクに代理人の事前登録(予約型)の有無と条件を問い合わせる。届け出だけでできる最初の防御策

  3. 3
    家族で方針を話し合う

    介護費用を何から出すか、実家をどうするか。本人の意思が聞けるのは判断能力があるうちだけ

  4. 4
    必要に応じて専門家に相談する

    任意後見・家族信託・遺言などの組み合わせは司法書士・弁護士等の領域。財産の内容ごと相談する

口座や書類の確認を含む「親が元気なうちの備え」から実家じまいまでのやることは、進捗保存つきチェックリストで整理できます。

無料ツール(登録不要)実家じまいチェックリスト【進捗が保存できる実践版】チェックした進捗を自動保存。印刷して親族と共有も使ってみる →

誰に相談すればよいか迷ったら、相続・生前対策の相談先ガイドを参考にしてください。 親との話の切り出し方は生前整理の記事で、 亡くなった後の分け方まで含めた備えは遺言書の記事で解説しています。

よくある質問

Q. すでに親の口座が凍結されてしまいました。もうお金は引き出せませんか?

道がないわけではありません。全国銀行協会は 2021 年に公表した考え方の中で、本人の医療費や介護施設の費用など「本人の利益になることが明らかな支払い」に限り、診断書の確認や面談などを経て、親族による払い出しに応じる可能性を示しています。ただしこれはあくまで例外的な対応で、応じるかどうかや必要書類は銀行ごとに異なります。まずは請求書や見積書など使いみちが分かる書類を用意して、取引銀行の窓口に相談してみてください。継続的にまとまった財産管理が必要な場合は、家庭裁判所に成年後見人を選任してもらう法定後見が原則的な手段になります。

Q. 暗証番号を知っているので、家族が ATM で下ろせば済むのでは?

おすすめできません。キャッシュカードでの出金は本人が利用することを前提にした仕組みで、判断能力が低下した本人に代わって家族が引き出すことは、他の親族から「勝手に使った」と疑われるトラブルの典型的な火種になります。介護費用のために立て替えがどうしても必要な場合でも、領収書や使途の記録を残し、きょうだいなど他の家族と共有しながら進めてください。なお、親が亡くなった後の無断の引き出しには、相続放棄ができなくなるなど別のリスクもあります(詳細は口座凍結と仮払い制度の記事で解説しています)。

Q. 家族信託と任意後見、どちらを選べばよいですか?

一概には言えません。ざっくり言うと、実家の売却や預金の管理など「財産を柔軟に動かす」ことを重視するなら家族信託、介護契約や施設の入退所手続きなど「本人の生活を支える手続き(身上監護)」まで任せたいなら任意後見が向いているとされ、実務では両方を組み合わせる例もあります。財産の内容・家族構成・かけられる費用で最適解が変わる領域なので、制度に詳しい司法書士・弁護士等に家庭の事情ごと相談するのが確実です。

※ 本記事は全国銀行協会・裁判所・厚生労働省等の公表情報に基づく一般的な制度解説です。 銀行の取引制限の運用や各サービスの条件は金融機関ごとに異なり、 任意後見・家族信託・法定後見の選択は個別の事情で最適解が変わります。 実際に検討する際は、取引金融機関および司法書士・弁護士等の専門家にご確認ください。