家族信託とは — 実家が凍結される前に「動かせる状態」を作っておく契約

親が認知症などで判断能力を失うと、実家の売却も大きな修繕もできなくなります。 「施設の入居費用は実家を売って用意するつもりだったのに、売れない」—— この財産凍結の問題への備えとして、 いま最も注目されているのが家族信託(民事信託)です。

仕組みはシンプルで、親が元気なうちに、実家などの財産の「管理・処分する権限」だけを 信頼できる子に移しておく契約です(信託法 3 条 1 号)。登場人物は 3 人ですが、 親の認知症対策では親が 2 役を兼ねます。

ポイントは、名義は子に移っても利益はすべて親のものという点です。 この「委託者 = 受益者」の形(自益信託)にすることで、後述のとおり贈与税もかかりません。 法務省も、高齢の親が委託者兼受益者となり、子が受託者として預貯金の払い戻しや自宅の管理、 老人ホーム利用料の支払いなどを行う形を、信託の典型的な活用例として紹介しています。

何ができるようになるか — 親は住み続けたまま、子の判断で売れる

実家を信託すると、次のことが可能になります。

たとえば「親が施設に入って実家が空き家になったら売却し、代金は入居費用に充てる」 というシナリオを、親が元気なうちに契約として固めておけるわけです。 売却実務の流れ自体は通常の実家売却と 同じですが、売主としての判断を受託者ができる点が決定的に違います。

成年後見との違い — 「家裁の許可」が要らない

判断能力が失われた「後」の手段である成年後見(法定後見)と比べると、 家族信託の位置づけがはっきりします。なお成年後見制度そのものは2026 年に大きな改正が成立しており、 比較の前提が今後変わる可能性があります。

家族信託成年後見(法定後見)
始められる時期判断能力があるうちだけ判断能力が下がった後
実家の売却契約で定めた権限の範囲で受託者が判断できる居住用不動産は家庭裁判所の許可が必要(民法 859 条の 3)。許可のない売却は無効で、必要性が認められず許可されないこともある
誰が管理するか自分たちで選んだ家族(受託者)家庭裁判所が選任。親族以外の専門職が選ばれることが多い
継続的な費用原則なし(初期費用が中心)専門職後見人の報酬が本人が亡くなるまで続く
財産の使い方契約の目的に沿って柔軟に設計できる本人の財産の維持が原則で、積極的な活用には制約
本人の身の回りの契約(身上監護)できない(財産管理の制度)できる(後見人の役割)

発症後の成年後見では「後見人を付けても実家が売れるとは限らない」のに対し、 家族信託は売れる状態をあらかじめ作っておく備えです。 一方で身の回りの契約(身上監護)はカバーできないため、 法務省も信託と成年後見制度・遺言は役割が異なり併用できると案内しています。 制度の全体比較は認知症と財産凍結の記事を参照してください。

税金はどうなる? — 贈与税はかからない。ただし節税にもならない

「実家の名義を子に移す」と聞くと贈与税が心配になりますが、 委託者 = 受益者の家族信託(自益信託)では、実質的な財産の持ち主が親のまま変わらないため、 税務上も財産の移転とは扱われません。

税金自益信託の設定時根拠
贈与税かからない課税されるのは委託者以外の人が対価なく受益者になる場合(相続税法 9 条の 2)
不動産取得税かからない委託者から受託者への移転は「形式的な所有権の移転」として非課税(地方税法 73 条の 7)
登録免許税(所有権移転分)かからない信託による移転の登記は非課税(登録免許税法 7 条 1 項 1 号)
登録免許税(信託の登記)かかる — 土地: 固定資産税評価額の 0.3%(軽減税率・2029 年 3 月 31 日まで。本則 0.4%)/建物: 0.4%国税庁「登録免許税の税率の軽減措置に関するお知らせ」(租税特別措置法 72 条)

たとえば固定資産税評価額が土地 1,500 万円・建物 500 万円の実家なら、 信託の登記の登録免許税は「1,500 万円 × 0.3% + 500 万円 × 0.4% = 6.5 万円」が目安です。

そして、ここははっきり書いておきます。家族信託に節税効果はありません。実質的な持ち主が親のままである以上、 親が亡くなれば信託財産は受益権というかたちで相続税の課税対象になります。 家族信託は「税金を減らす」制度ではなく「財産が凍結されて動かせなくなる事態を防ぐ」制度です。 節税を考えるなら生前贈与などとは別の論点として 切り分けて検討してください。

手続きの流れ — 契約から信託口口座の開設まで

家族信託は契約を交わせば法律上は効力が生じますが(信託法 4 条 1 項)、 実務では公正証書の作成と信託登記・信託口口座の開設までがワンセットです。 全体の流れは次のとおりです。

  1. 1
    専門家に相談し、家族で設計を固める1〜2 か月目安

    何を信託するか(実家 + 金銭が典型)、受託者を誰にするか、売却の条件、信託の終わり方を決める。受託者にならない兄弟姉妹にも必ず説明して了解を得ておくのが、後のトラブル防止の要

  2. 2
    信託契約書の案を作成する

    信託の目的・信託財産・受託者の権限(売却できる旨を明記)・帳簿と報告のルールなどを条文に落とし込む。司法書士・弁護士など信託実務に詳しい専門家に依頼するのが一般的

  3. 3
    公証役場で公正証書にする予約制・当日は 1〜2 時間程度

    法律上の必須要件ではないが実務標準。公証人が本人の意思を確認するため契約の有効性を争われにくく、信託口口座の開設条件として公正証書を求める金融機関も多い

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    法務局で信託登記をする

    実家の名義を受託者に移す所有権移転登記と信託の登記を同時に申請する。登記できる財産の信託登記は法律上の義務で、契約で免除できない(信託法 34 条)

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    信託口口座を開設し、金銭を移す

    受託者個人の口座とは分けた信託専用口座を開設し、当面の管理費用や生活資金を入金。以後、受託者は帳簿を付けて年 1 回受益者に報告しながら管理する(信託法 37 条)

※ 相談開始から運用開始まで、家族の合意形成や金融機関の審査を含めて 2〜4 か月程度かかるケースが多いようです(内容・関係者の数で前後します)。 親の判断能力があるうちにしか始められないため、実家の危険サインに気づいたら早めの検討を。

費用の目安 — 初期費用が中心で、総額 50〜100 万円程度が相場

家族信託の費用はほぼすべて初期費用で、成年後見のような継続報酬は原則ありません。 内訳の目安は次のとおりです(信託財産の額や事務所の料金体系で大きく変わるため、幅で見てください)。

費目目安備考
専門家のコンサルティング報酬(設計料)信託財産の 1% 前後
(最低 30〜50 万円の事務所が多い)
家族信託費用の中心。契約書作成料(10〜15 万円程度)を含むかは事務所により異なる
公証役場の手数料3〜10 万円程度信託財産の価額で決まる基本手数料(例: 1,000 万円超〜3,000 万円以下で 2.6 万円、5,000 万円超〜1 億円以下で 4.9 万円)に、信託の加算(目的の価額 1 億円以下は一律 1.3 万円・2025 年 10 月改定)や証書の枚数加算など諸費用が乗る
登録免許税(信託の登記)土地: 評価額 × 0.3%
建物: 評価額 × 0.4%
評価額 2,000 万円の実家で 6〜8 万円程度が目安
信託登記の司法書士報酬8〜12 万円程度物件数・管轄で変動
総額の目安50〜100 万円程度信託財産が大きいほど増える。複数の事務所で見積もり比較を

※ 報酬額は各事務所が公表している料金の一般的な水準をまとめたものです(2026 年 7 月時点)。 公証人の基本手数料は公証人手数料令に基づく法定額です(2025 年 10 月改定)。 初期費用としては安くありませんが、成年後見で専門職後見人に月額報酬を 10 年払い続ける場合と比べると、トータルでは家族信託のほうが小さくなるケースが多い、 というのが実務でよく示される比較です。

家族信託の限界 — できないこと・受託者の義務

便利な仕組みですが、万能ではありません。契約前に知っておくべき限界が 4 つあります。

1. 身の回りの契約(身上監護)はできない

家族信託が扱えるのは財産の管理・処分だけです。 施設への入所契約や医療の手続きを本人に代わって行う「身上監護」の権限はありません。 そこまで備えるなら、元気なうちに後見人を自分で選んでおく任意後見との併用が実務では検討されます (信託と成年後見制度は併用できます)。

2. 守れるのは「信託した財産」だけ

信託契約に入れなかった財産は、通常どおり凍結リスクを負います。 また預貯金は口座そのものを信託できないため、いったん現金化して信託口口座に移す必要があります。実家 + 当面の管理・生活資金というように、 何をどこまで信託するかの設計が重要です。 親の財産の全体像は重要書類の整理と あわせて棚卸ししておきましょう。

3. 信託口口座を開設できる金融機関は限られる

信託財産の金銭は、受託者個人の口座と分けた信託口口座で管理するのが原則ですが、 対応する金融機関はまだ限られています。開設には金融機関の審査があり、 公正証書による契約書や専門家の関与を条件とするところが多いのが実情です (日弁連「信託口口座開設等に関するガイドライン」2020 年)。契約を作る前に、口座を開設できる金融機関に当たりを付けておくのが実務の鉄則です。

4. 受託者には義務と手間がある

受託者になった子は、信託財産を自分の財産と分けて管理する義務(信託法 34 条)、 帳簿を作成し年 1 回受益者に報告し保存する義務(信託法 37 条)を負います。 「名義をもらって自由に使える」のではなく、親の財産を親のために管理する責任を引き受けるのが受託者です。 こうした事務を続けられる家族がいるかどうかも、向き不向きの分かれ目になります。

遺言ではできない「次の次」の指定もできる

少し発展的な使い方ですが、家族信託では「自分が亡くなったら受益権は妻へ、 妻も亡くなったら長男へ」というように、受益者を順番に引き継がせる設計もできます (受益者連続型信託・信託法 91 条)。遺言で指定できるのは自分の次の代までなので、 「その次」まで指定できるのは信託ならではです。 ただし信託を設定してから 30 年経過した後の承継は 1 回限りという期間制限があり、 設計の難易度も上がるため、検討する場合は専門家との綿密な設計が前提です。 遺言との使い分けは遺言書の記事も参考にしてください。

向くケース・向かないケース

次に当てはまるなら、家族信託を検討する価値が大きいケースです。

逆に、託せる家族がいない家族間にすでに対立がある財産が少額で初期費用に見合わない備えたいのが財産管理より身の回りの契約(身上監護)—— こうした場合は、任意後見など別の選択肢のほうが合っている可能性があります。 どの制度を使うか・組み合わせるかは家庭の事情で大きく変わるため、 家族信託の実務経験が豊富な司法書士・弁護士に相談して設計してもらってください。 相談先の選び方は士業の使い分けの記事で解説しています。

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よくある質問

Q. 家族信託をすると、実家は子どものものになってしまうのですか?

なりません。登記上の名義は受託者である子に移りますが、それは「親のために管理・処分する権限」を持つだけで、実家から生じる利益(住む権利や売却代金)はすべて受益者である親のものです。子が自分のために実家を使ったり売却代金を受け取ったりすることはできず、信託財産を自分の財産と分けて管理し、帳簿を付けて報告する義務も負います(信託法 34 条・37 条)。財産をあげる「贈与」とはまったく別の仕組みで、だからこそ贈与税もかかりません。

Q. 家族信託をすれば相続税の節税になりますか?

なりません。家族信託は財産の凍結を防ぐための仕組みで、税金を減らす効果はありません。親と子の間で信託契約をしても財産の実質的な持ち主(受益者)は親のままなので、親が亡くなったときには、信託した実家や金銭も受益権というかたちで相続税の課税対象になります(相続税法 9 条の 2)。「家族信託で節税できる」という説明があったら、その部分は疑ってかかってください。節税ではなく「認知症になっても実家と老後資金が動かせる状態を保つ」ことが目的の制度です。

Q. 親が認知症と診断されました。もう家族信託は組めませんか?

進行の程度によります。契約には本人の意思能力が必要で、意思能力を欠く状態で結んだ契約は無効です(民法 3 条の 2)。「認知症の診断 = 即アウト」ではなく、軽度で契約内容を理解し自分の意思を伝えられる状態なら組める場合もありますが、その判断は慎重に行う必要があり、公正証書を作る際には公証人による本人の意思確認もあります。判断能力が失われた後にできるのは、原則として家庭裁判所を通じた成年後見(法定後見)です。迷っている時間がいちばんのリスクなので、早めに専門家に相談してください。

※ 本記事は信託法・相続税法・地方税法・登録免許税法および法務省・国税庁・日本公証人連合会の 公表情報に基づく一般的な制度解説です。家族信託の設計や契約の有効性、税務上の取り扱いは 個別の事情で結論が変わります。実際に検討する際は、司法書士・弁護士・税理士などの 専門家に相談してください。費用・報酬は依頼先により異なります。